すべてが繋がって今がある

どうも、山口です。
sirimiriの、このブログの中で記事を書くのはひさしぶりです。
去年の夏ぶりだろうか。

僕の発言は、もうすでにsirimiriを離れていて、自分のWebサイトやSNSで十分なので、ここには登場しなかった。

実際、今ここは小澤さんのホームだ。
彼女の屋号、活動名はsirimiriなので、計らずも本人のものである。

さて。
久しぶりにここで何を書くのか、というと不思議な巡り合わせで、sirimiriを思い出したからだ。

昨日、ひょんな事から、ふと経堂にできる予定のお店を知った。
そのtwitterアカウントをみていると懐かしい気分になった。
チャコリとか、ピンチョスとか。
耳馴染みのある言葉が並んでいる。

そのお店は、マホラ食堂という。
マホラ食堂のおかげで、久しぶりにバスクという場所を思い出した。

僕が最近訪れた唯一の海外は、スペインとフランスだ。
東京でその展示をして、その後巡回展として、福岡で開催した。
2度、このsirimiriは開かれた。

2度あることは3度あるべきだと、僕は思っている。

小澤さんは、現在料理家のアシスタントといて日々を暮らしている。
僕は、写真作品を作り展示をしたり、Webの仕事をしたり、お花屋でアルバイトしたりしている。

相変わらずだ。
日々は過ぎていく、つつがなくね。

実は。
知っている人は、知ってることだけど。
僕は、このsirimiriで「作品のタイトル」にもなった言葉を授かっている。

ある教会の窓の光を見つめていた時に、ふわっと降りてきた言葉。
「すべての夜で泣くために」がそれだ。

ある教会が、この作品のはじまりだったのだという事を思い出した。
LITTLEGROWTHからはじまり、
sirimiriでは、「遠くの水色」という写真集を作った。
そこから「すべての夜で泣くために」にが生まれ、「あれから、日々を摘む」に繋がる。
日々を摘むは、「ちいさな花」を咲かせて、今に至る。

どこからきて、どこまで行くのか。
旅人は行き先を知っているのか。

この作品もまた僕の一部であると今日、思い出した。
ついでに、「僕には関係ないものなんて無い」って事も思い出したよ。

さて、どう料理しようか。
この雨の名を冠した作品を。