つくることと、そこにある救いとかのこと。

寒くてたまらなかった冬を終え(この地に来た自分を呪うレベルの)、もう4月。数日前は28℃で冷房つけて、昨日は10℃切って暖房。4月ってこんなに狂った季節だったっけ?

仕込みをしながら、ふと友人のnoteの記事を読んだ。彼女の子どもが小学生になり、子育てが新たなフェーズに入って嬉しいこと、しんどいことが綴られてた。その気持ちを想像していたら、最近あった気の重くなるできごとを思い出す。ずん、となって地中に10cmくらい沈みそうなかんじの。あることに対しお互いの認識のズレに気づかなかったのが原因なんだけど、私はのんきに過ごし友人はそんな私の気楽さにイライラを溜めこんで、全く予想外のタイミングで爆発したのでした。思い出してまたどんより。

根本的な解決にはならないけど、こういう時には誰かの作ったおやつやコーヒーが、一瞬救ってくれる。胃のあたりに残ってなくならないモヤモヤを、ちょっとの間だけ忘れさせてくれる。解決には努力や理解や寛容さが必要だけど、まだそこまでは無理、このダメージ結構大きいんだよ、という時にすこしだけ回復させてくれるもの。

考えたら、そういう救われ方ってたくさんしてきた。NGOで働いてた時、3ヶ月の船の上勤務で担当業務に追われてもうダメだ…ってなると、自販機で午後の紅茶ミルクティーを買ってデッキに行って、体育座りして顔を膝に埋めてしばらく過ごした。なるべく人がいないとこに行ったけど、近づいてくる足音、それが背後で止まること数秒。そして通り過ぎていく音。誰かはわからないままだけど、相手は私に気づいて声かけるか迷ってたのはわかる(それをあっちいってオーラ出したのは私)。海のどまんなかを進む船の上で、青空の下で、ひとり負の空気をまとっていたけど隣にある午後の紅茶が救いだった。

袋詰めをしていて、このガトーバスク達はどんな風に食べられるのかな、と思ったりする。お皿にのせられたり、袋あけてそのままかじられたり、口に合わないこともあるだろな、とか。楽しい気分だったり、TV観ながらなんとなく食べちゃって印象に残らなかったするかも。そして、あの時の私みたいにもう嫌になっちゃって、悲しい気持ちで口にする人もいるかもしれない。解決にはならないだろうけど、ほんのちょっとだけなら救えるかもしれないな、と思って「そんな場面に出くわしたら、頑張ってよ」と勝手な願いを託す夜更け。

Photo : April.2022